生活動力とは?

生活とは、液体や気体のように柔らかな動体です。人口動態や経済の浮沈、技術革新など、様々な時代のインパクトを受け、常に変化を繰り返していきます。人は社会的インパクトへの適応性と弾力性を持った生き物です。変化する環境の中で、自らの意志と欲求により暮らしを改編していきます。生活総研では、こうした次の生活を形づくっていくダイナミックスを『生活動力』と呼び、毎年、年初にその発表と提言活動を行っています。

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生活動力研究ブログ

「修行」に行って驚いた!

先日、後輩に誘われて都内某所の山で「修行体験」なるものをしてきました。そこで出会ったのは、新鮮な発見。果たして煩悩まみれの私は、悟りの境地に近づけたのでしょうか。

記事を書いている人:生活総研・山本

煩悩、108つどころか1,080くらい持っていそうな僕です。

2013. 09. 05. THU

正直、乗り気でなかった。

信仰はありますか?と聞かれたら
「う~ん、特には。初詣とか、神社仏閣の観光には行きますけど…」
多くの人のように、そう答える私。

「寺で山伏修行しましょうよ!」
ある日、そんな私に後輩が声をかけてきました。
怪しい、不安…、そんな考えが頭をよぎり思わず口に出た言葉は「大丈夫か?それ?」。
「ぜんぜん大丈夫っすよ!子供でも参加できるんですよ!」押しまくる後輩。
正直…乗り気ではなかったんですが、結局誘われた勢いで申し込み、行くことになりました。

 

行ってみるとそこには
総勢100名近くの参加者が…!

当日は、朝5時起き…。眠い。落ちそうな瞼をこすりながら、集合場所のお寺に入ります。すると、そこにはお堂一杯、100名ほどの人が座っていました。驚いたのは女性の多さ。「山伏修行」と言うと、男性ばかりと思いきや約半数を女性が占めていたのです。小学生くらいの子供から50代、60代までと年齢層も幅広く、中には白装束をまとう、本格的な修験道のような方もちらほら。あとで話を聞いてみると、このお寺のある山が、数年前ミシュラン観光ガイドで高評価を受けたあたりから参加者が急増したそうです。と、いうことはここに来ている人たちも、僕と同じような「まあ特に信仰はないですね」という方々がほとんどかもしれません。にも関わらずこんなに大勢の人々が「修行」に来ているのです。
「これは、なかなか面白いところに来てしまった」
1泊2日で滝に打たれ、山を登り、読経、瞑想、写経、法話、護摩焚きをするというコースをお坊さんから聞きながら、期待は否応なく高まります。


自然と溶け合うような滝行

お寺で男女2つの団体に分かれ、私のいる男性組がまず向かったのは山中の「滝」。「ぶおー!」という法螺貝の響きを合図に50人程度の男性の隊列が「先達(せんだつ)」と言われる引率の先輩山伏に率いられ出発します。
蒸し暑い中を歩くこと1時間程度、やってきたのは高さ5メートル程度の滝です。水量はそこまで多くなく、健康ランドの打たせ湯の水量を2倍にしたくらいでしょうか。
滝に打たれながら大声で唱えるのは滝の神様に祈りをささげる「南無青龍大権現(なむせいりゅうだいごんげん)」という言葉。いざ滝に入ってみると、見た目よりずっと水の勢いは強く体全体がびりびりと振動し、気合いを入れなければ飛ばされてしまいそうです。だからこそ「なむせいりゅうだいごんげん!」と大声で何度も何度も唱えます。目の前では、指導役のお坊さんも大声で唱えます。そうすると自分の声と、お坊さんの声が交わり響き合い、冷たい滝の振動とともに、心地の良いハーモニーが生まれてくるのです。それはなんだか、自分というものが滝と溶け合って行くような不思議な感覚でした。


大声をあげながら登山

滝に打たれた後は、500メートルほどの山を登り山上のお寺へと向かう登山。登りながらも大声で祈りを捧げます。先達の山伏さんが「慙愧懺悔(ざんぎざんげ)」とリズムよく唱えると、その後に全員声を合わせて「ろっこんしょーじょー!!」と叫びながら進むのです。これは、普段の生活で穢れてしまった「六根(眼、耳、鼻、舌、身体、意識)」が清浄になりますようにという意味。山は母親の胎内を表し、そこに登ることで生まれ変り清浄になることを願うのだそうです。
深夜まで飲み、ラーメンを食べたり、他人の黒い噂話で盛り上がる穢れっぱなしの私。果たして清浄になれるのかどうかはわかりませんが、みんなで声を合わせて山を登りきった感想は「爽快!」の一言。日常の雑事や面倒なことも忘れられる気がしました。普段、自分がいかに大きな声を出していないのか、いやむしろ大人になってから野外でみんなで声を合わせることなんてなかったな…と実感します。
そして山上のお寺に着くと、荷物を置いて本堂へ。そこで行うのは御本尊の前での読経。般若心経を「こりゃエンドレスか?!」と思えるくらい繰り返し唱えるのです。100人の参加者が、声を合わせて何十回と唱えるお経。その声はお堂の中に響き渡り、全員が一体となります。滝で感じたような身体で「響き合う」感覚。そこには何とも言えない快感がありました。


発見した修行の楽しさ

その後も夜の瞑想、翌日の写経…と修行は続いたわけですが、そんな2日間を通じて感じたこと。それは、「修行の楽しさ」です。もちろん、今回の修行はあくまで「体験」。レジャーのようなもの。本格的な山伏の修行は、もっと険しく、生易しいものではないそうです。
ですが、滝で、山で、読経で声を出し、他の人と混じり合い響き合う。そして自分は一人で生きているのではなく、自然や他の人々との響き合いの中生きているんだ…という感覚を得られることは、都会で仕事をしている自分には得がたい経験でした。



生活定点調査をみると「宗教を信じる」という人はここ20年で12%も減少しています。
けれども100人もの男女が、ミシュラン旋風の中お寺に集まり、修行体験をする現場をみると「宗教を信じる、信じない」という二択では語りつくせない「修行」の魅力があると思ったのです。
普段の自分をいったん忘れて無心になる、自然と溶け合う、他人と響き合う…。それは普段の自分を一度リセットし、自らの感性のケアをしてあげる行為。それはとても「気持ち良い」ことでした。
慌ただしい都会生活、PCを前に一人で仕事をすることが多くなる現代。別に「宗教」に関わらずともこのような「感性ケア」体験という現象はこれからも拡がっていくのかもしれません。
そして意外にも楽しい経験だった修行。ぜひ、あなたもいかがでしょうか?

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